20230910

少し考えに転換があった気がする。
絵を描いたりかざったりとか、表現とか、そういうものは決して特別なものごとではないのかもしれない、
といったある意味では普通のことについて。
パフォーマンスとかそんなものも含めて。

ずっと美術という空間の設定は仮構であって、その据えられた舞台と、現実・ライフ・生活・日常といった日々そのものとに境目があるものとしてなんだか踏まえてしまっていた。
その境界があるゆえに、それを引き下げる為のフレームアウト。スケールを大きくする手続き。
つまり、絵画からインスタレーション、アクションといったようなルート。
これが自分が勉強してきた知識だ。
そして、その理解から起きている視座。

実際にはそのような考えによる表現も生活、ライフとかそういうそのものでしかない日常全体に含まれているもの、つまり言ってみれば表現は”日々のレトリック”とでも言っていいものと考えて良かったのかもしれないのではと思ってきている。

例えばだけど、飲み会で言った冗談やおどけみたいなものなんかの延長、地続きなものごととして、。そういったものごとにたまたま歴史や様式が伴ってきて出来上がってしまった結果のもろもろが美術なのだとしてと捉えてみたらどうなんだろうとか。

これは作品についての心境の変化というやつなのかもしれないし、関わらせていただいた方からの影響なのかもしれないし、展示した場所の影響なのかもしれない。自分が美術に近づいたのかもしれない。同じ空間に自ら今までいなかったのかもしれない。
まぁともかく、なんだろう、わからないがこれが自然な態度やふるまいな気がする。

そして、仮に世の中にギャラリーや美術館が介在していなければこれはさらにしっくり腑に落ちることな気がしたのだ。

日々のなかで、上手いこと言う ができればそれでいいんではないか、もしかして。