20240408

友達がお店を見に来てくれた。ありがてえありがてえ。

だいぶ前にも展示した機会はあったのだけれど、今まで見せたことのない自分の内を見せているような感覚になるもので、しどろもどろになってしまった。ただ、おかげで作品の場所についてのもろもろについて、なんだか頭の中がととのうきっかけみたいになったかもしれない。題目の定番なんだろうけど、こういったことを考えるのも久しぶりな気がする。やっぱり刺激は作っていかないといけない。

びっくりするくらいノイズが多い空間なので、邪魔はあり、合わせようもなし、それらをいなせたところで別にそれができることが優れてるとかそういう話でもない。

自分の場合、育った場所という意味のバフがかかるのでそもそも前提は人とは違うのだけれど、例えばヨーロッパの教会だとか、そもそもが格好良い場所やら、ノイズを排除したことになっている所謂展示空間やらではない。

例えばだけど、今の自分が暮らしている部屋の中をつーと見回すなりしてみる。おおよそ”雑多な散らばり”とでもいったもので、世のある程度の作品が流通なりして行き着く先がこういった散らばりのある場所だとするのなら、店の空間で見えているものは決して変なものではないのではという屁理屈とか居直り。

(とはいえ、前回見に来てもらった際、見慣れてくると一つまとまった感覚、というか流れている価値観?判断?みたいなものは見えてくるというような感想をもらっているからもしかしたら言うほどの散らばりではないのかもしれない。)

そもそも行き着く先とかでもなく、そういった散らばりの中で起こっている事であったってもちろん良い。というか、そういう出来事が自然発生で起こってない筈がない。

ちょい前に美術館でみたある作家の展示が、これ美術館でやる必要ないんでないか?と思うくらい、作品の必要としている空間とマッチしてなく感じて、逆に作品のイニシアチブを感じることになり、いたく感動したことと妙にシンクロしたのだった。

片付けますけど