考え方のプロセスとか性質って教育、というか受容してきた考えの方法論の履歴が影響してるのだろうなぁと、自分は側からの目線で考えるような性質ではないんだなぁと感じてくる。
今更わりと発見と思う。まぁ、それはそうで良い。いろいろな視点の考えがある。という基点
ただ、そんな目線からの想いの巡らせとはいえ、情報のフローとかでも言うのか、トラフィック(とか言うのがそれっぽいか?)がとにかく大きくなることを考えるのが一番なんじゃないかなとか思う。大きくする目的からの、物理的な、身体ベース優先のそこからのトラフィック。
そんで運ぶのは不必要なものではなく、制限もする役割も持って。
巨大な貿易港や、交易都市が莫大なそういうものを作ってきたように。
そこでの、港湾労働者、旅客、或いは外来のムラサキイガイ
もしくは、輸入したそれ、ムール貝を食餌するとかそんなことも含めて
メモ
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ムラサキイガイ獲って食おう。