2013.6
ミクストメディア 台 キャプション
それぞれのオブジェクトにキャプションを使用しタイトルが付けられている
参照として部分写真
続編として事象の海綿がある
#6
バカな!?私がパイプュ、あぁ痛い、 唇を噛んでしまった なんということだ 私はレクターはかしぇ!、あぁ痛い、 またくちびりゅ、あぁ痛い
#7
心を静かにしてご覧なさい
パイプはわたしではないですか?
#8
手記
※手記のテキスト
—–
それらのガラクタを僕がいじくり回している間に
同居人はこの部屋から出て行った
僕はしばらく現実を受け入れられずにいた。いや、受け入れまいとしていたのかもしれない、そんなとき思考なんてものは硬直していつもの室内の風景は、意味もなく僕の感覚を通り抜けていく。
一時間か、二時間か、、空腹のため僕はのそのそと動き出し、冷蔵庫のありあわせで、肉豆腐をこしらえ、冷や飯をレンジにもかけず、食べ出した。思い出したように、冷凍庫に凍っている万能ネギを出したとき、この万能ネギを切って冷凍した人間の存在を改めて思い出す。その瞬間、部屋に干したままの洗濯物の湿度がとつぜん深海の水圧のような圧迫感で重く胃袋あたりにのしかかってきたような気がして、僕は、それに耐えられなくなりタバコを持って、ベランダの窓をあける。
窓の外では、外国人の画家がこちらを見つめていた。 暗喩かどうかとかそういう問題ではない、そこにいる。 真っ直ぐな眼差しで画家はこちらを見ていた。何故、僕が彼の紳士を画家と判断できるかと聞かれても説明などつかない。だが、僕には理由なき確信があった、彼は画家でしかありえなかった。それに、、それに、信じられないようなことだがその後紳士を注視してみると、マグリットとカタカナで書かれた名札を左胸ポケットの少し上に付けていたのである 少しの沈黙の後 画家は微かな笑みを湛え僕のマルボロライトを指差してこう言った、、 コレハ、、
これはパイプではナイ!
そう、これはパイプではないです すかさず僕は応える
これはパイプではナイ
これはパイプではないです
これはパイプではナイ
これはパイプではないです
(逆に聞いてみる)
これはパイプですか?
これはパイプではナイ
これはパイプなんですか?
これはパイプではナイ
そうしたらこれはパイプなんですか?
これはパイプではナイ
(少しばかりの冒険心)
……
僕が、パイプだぞ!
これはパイプではナイ!
わたしがパイプに決まってるじゃないの
これはパイプではナイ!
バカな、わたしがパイピュ、、痛い唇…
これはパイプではナイ!
……
(前を見失う)
パイプは私ではないですか?
これはパイプではナイ!
いつしか僕たちの言葉はケルト民謡のようなリズムをともないだし、僕たちは、楽しそうに歌いはじめていたのだった
でも、僕はケルト民謡がどんな音楽なのかなんて知らないです。それでいいのだ、つまらない自分語りなんてものに裏付けなどいらないし、そもそも必要なのは雰囲気のある単語とかだけなんです。このさいやれやれ、とかだって言ってやります私
…いいでしょう
…
その似非ケルト民謡のリズムが、いわゆる一つのフロア寄りの四つ打ちみたいななにかに変わるころ、僕たちの温度は上昇気流となり雲を晴らす、木造建築の一部屋に立ち込めた湿気はその風とともに吹き抜ける。
そう、あれはパイプなんかじゃない。
パイプだったのは俺だ、問いをもとめられたオブジェクト、宝物館のパイプ、螺鈿細工のカラカラに乾燥したパイプ、役割と火種をまつパイプ、マグリットのパイプ、装飾された単なる筒としての、そして絵画と虚像としての
展示で使用した宣言文
展示配布マップ等に記載
—–
現実との折衷点をどれだけひき下げようと試みても、
表現であるという作為や嘘とそれらのないあからさまな世界との境界面は破れないと、
あるとき思う(僕はアウトサイダーでなければ手段より目的に重きをおく政治屋でもない)。
しかし、例えば、絵に、私や展示空間、ひいては表現たらしめる宣言といったものが
食われるとき、俺はそれの正面には対峙できる。
絵の臓器のなかに私は呑み込まれる。
吐き出した嘘は自分の一部分となり、
主体は暗喩を身に纏う。
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