実現したいことを誰かに話すことは、それを達成するための第一歩だとかよく聞く。後に引けなくなるとかなんとか。海賊王がどうこうとかそういうことは言わないけど。
こういった場所に言葉を置くことで、他者の視線が僅かに入り込むことに意味を考えているところが少しだけあると前に書いた。
だからなのかわからないが、どうやら普通のメモ以上にフィードバックというか、その先のなにかに繋がってくることが、起こりやすいように感じてきている。
ドローイングでも随筆でも、とりあえずは置くことに意味があるのかもしれない。多分言葉や制作は、頭の中というよりかは、どちらかというと入出力の間で起きていて、そこのフローを作るようにしていないと、考えは簡単には動いていかないように感覚している。
穂村弘さんのエッセイとか、舟越直木さんの言葉とか(画集を見て後から知った)に上のようなことが汲み取れるものを見つけて、そのように自分は”読んだ”。
そういう考え方のいろいろは、作品を簡単な「メッセージ」に貶めないことにも繋がっていくような気がする。
その生成や工程の間にエッセンスとして他者の視線を加えることは、また異なった刺激を起こすことになっているのかもしれない、卑俗な言い回しをするなら、うっすいブレインストーミングみたいなことなのかもしれないけど。
実際、人との会話の際は、いろいろなものものがブーストされているものと思う。