糸切れてた。いや、まだ。
前の展示で会話してたことをメモしておきたいから書く
美術も比喩のようなものを使うとしての話(自分はそう)
そういった比喩がいきるというのは、自分が鑑賞者の場合で捉えると、出力の要素で言葉を使ってる場合(タイトルとか文そのもの)を除き、恐らく概念とかシニフィエとかイメージとかそういう言葉ではない状態の単位のいくつかの結びつきが、見てる人の記憶なり景色にリンクするなり呼び覚ますなり、そしてそこになんらかのズレや必然性が起きるから魅力的と思うのだろうと、閃きみたいな感触というか
美術の学校とかでよく言う「コンセプト」みたいな体で、作品の設計に言葉を用いる場合、
例えば一つの例としてだけど、荷物が重い 気持ちが重い
の「重い」の意味の部分の違いみたいなところが原因になって、
イメージ同士の比喩を、言葉に翻訳してまとめる作業をして、またイメージに戻すところで、自動翻訳を繰り返して元の言語に戻したときにできるおかしな文のような状況が起き
パッとしない、仮にそのコンセプトというもので説明受けて理解した気になってもはぁそうかみたいな、煮え切らないものができてしまう
こんなことが自分でやっていても良く起こる
これはかなり重要なことだと思う
最終的な出力物が、初動の閃きやら感動と一致できることが理想なのかなとなにか思う。もしくは巡ってそのくらいの閃きを起こしているか
ものごとを考えるというのは言葉の世界だけのことではないと思う