色彩と形態とが違う要素だとして、音とか物語性とか論理とか配置される空間や建築とかその時代とか、その観客なども同じような1つの要素として
例えば映像と音楽は時間的で相性が良いから映画は自然で、絵画と音楽は距離があるから難しいとか
純化して、というか必然性のある要素に絞ってなるべく不必要な要素を廃してその上でかつ強力なものができるのが格好良いと思うのだけどそれも程度の話
そして、そもそも地続きな世界から作品という動きを抽出するフリとして、台やら枠やらキャプションや展示空間があってなのかと考える
距離は重要なことだと思う、関連性の有無を示唆する。意味の含みの無さを示唆する。構図と言われるいろいろや展示する際のいろいろの概ねに関していそう、枠も隔たりという距離についてのこと
これも、きれいな色と同様に示すには良さ悪さを喋り続けるなどすることでしか近づけないこと
ふと批評の人は絵は描けるのだろうかと思う。とはいえ、言葉で定位できる部分はそうすべきだと思うし、時代のそれを読むのは楽しいこと
言葉で定位できない部分はやって当然でなければとか思っていたけれど半分以上それだったのではと我に帰る