20171210

昔、ある公募展でゲストで来ていたキュレーターの方に世の中に真っ直ぐ向かわず斜にかまえ制度を茶化す作品は嫌いでと言われ、それに食い下がったのを思い出した(その頃は作品のコアはそういうところ、そしてこれ何回も書いてる出来事だ、)

制度干渉の無意味さ不毛さを指摘されて、枠組みなど越えていかなければとまで言われた、と記憶している

今でもそこまでいくと理解しがたい主張なのだけれど

そのときの自分の反論は表現の意思の前提がある以上、制度は自覚している筈であり、枠組みは越えることは出来ないものだということ。相手に伝わるだろうという意思は相手に文法を共有している信頼を意味する。

また絵画がインスタレーションに展開したように、一つの枠組みを越えようとしたところで、新たに自動的に次の枠ができる。最終的にこれは作品であるという宣言が一つの枠や台座になってしまう

そして、修辞的な鮮度への意思と政治的な目的性は背反するから美術でメッセージ性あるもの(それだけのもの)を行うことなんてと言う方向に持っていったように記憶している

とか主張しておきながら、結局そのときからずっと意識はしてしまっていて、今でも引きずっているからこそ形を変え先日の質問に置き換わったのかもしれない。

今回の講義を聞いて考えがまた少し動いた気がしている。

こちらの打ち出す際の措定するカテゴリーの領域というのはとても重要なことだ、きっと

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