作品見せるときとか周囲のノイズを無くしたいが通常と思うわけで、ホワイトキューブとかの話もそうだけど、グループ展なんかでの他の作家との関わり諸々なんかもどうネゴシエーションするかとか、よくあること。
最近の置かれている状況から、近くの人との関わりのなかで、どこかの集合としての括りで捉えるような考えが強くなってきているのか、自身や主体なんていうものもそのような存在として考えるようになってきているのか、場所の要請やノイズになってくるものや、人や意思や、そういった諸々との調整がおこっている状態。言うなら忖度があることは面白さな気がしている。
ネガティブな言葉じゃあない
社会性とかいうものの一端であるだろうし、実際仕事なんかで考えてみても、これがなければ、できるものもできないもんだろうと自分なんかは思う。自分はそういう人間だ。
パワープレイで押し切るなんてのもあるっちゃあるんだろうけど、まぁそれはそれとして、
フィールドに点在している複数の主体みたいなものを輪投げみたいにぐるっと囲った範囲における主体の現れみたいなものが、都度据えられた環境毎に起こっているので、その場面毎の主体のあり方を、それまでの個人という囲い、連続している括り、一貫したとかいうようなお決まりのフレーズで、作家なんてものや、主体の範囲を語るというのは、少し乱暴なことなんじゃないかとか思う、