20211110

前回のポストの最後の下り、書き方に問題があったので修正した。ツイッターなどで個人の方が書かれていた考えのようなので、一般的な認識と言えるかはわからない。

丁度、口語文語云々などの記事も調べついでに見ていたので、関係するトピックと思うが、このようなブログなどが、論文やら公式文章の類ではないのは当然とはいえ、出すことに慎重にならないとまずいなと反省した。

snsなんかもそうだけれど、もともと噂レベルの口語で扱われているものなんかが、文章の体で、公式文章のような力を持ったふうに感じられてしまうところや、今回の自分の書き方のように伝言ゲーム的な意味の歪曲や、そういった諸々がいくつかの最近の問題に繋がっているような気がしてしまう。

ハイパーテキストの例の本でもウェブみたいなことで簡単に出版ができてしまうことで起こるであろうリスクがやはり危惧されていた。

まぁ、こういう問題は専門の方が考えているものなんだろうけれど。

最近、この場所でも文章ばかりになってしまっているが、親指と携帯があればベッドで寝転んでいても、トイレに入っていても書けるというのは、本当に簡単なのだ。本当に簡単に出せてしまう。それも一つの要因なのだろう。良く言われるけど、出すことへの慎重さや重みが薄くなる。ただ、そう言ってしまうとこんどは懐古主義にでもなりそうな危うさもある。

世代によっては携帯で絵を描くのも普通のこととは思うけど、物質への依存度は言葉の方がやっぱり低いものと思う。

(原稿用紙をモチーフにしていたことを棚にあげている。ただ、原稿用紙の形状を変えたドローイングはそこからの文への影響のこと。このワードプレスのエディターのブロックごとに移動する操作感なんかにしても文章に影響を及ぼしているものと思っていて、出力状態の価値云々ではないけど、物質も含めた、そういう形式から逆算される影響はあるものとは思っている。)

そう考えると、美術は手間がかかる分、希少で重いんだよなぁと、丁度搬入中でありがたく手を貸してもらうまでしてもらいながら思うのだった。