20191019

これは理屈などではなく実感として、意識は何次元かの空間に要素が浮かんでいて、それらがパルスみたいなもので関係づけられているものと感じていて

言葉や論理はそれを組み直してるもので、意識の中というより目の前に、例えば目の前のノートに書いてあるとでもいうような距離感に位置する感覚のほうがが近いという印象を持っている

そういえば、「喋り」というのはどういう感覚で頭が動いているのかとふと思う

自分にとって不得意なもの

今こうして、携帯端末で言葉をうちながら一人で感覚を思い返してみると、確かにクリアーにならない文法やら言い間違いの訂正や、ジェスチャーでの補足(多分できてもいない)やら声の大きさやらなにやらでなんとかしようとしている姿を、変な気恥ずかしさと共に思い浮かべてしまう

文字に起こして意味が通じているものなのかすら怪しいものな気がする。そういえば、こんな文章でさえ消して直してしながら進んでいる

やはり流暢ではない

なんだか喋りと即興の音楽なんかが、印象が重なって見えてくる

意識はやはり言葉ではなく、そもそも流暢なものではないものなのかもしれない

—-

意識して(思って)みると 喋り は、空間に生じるパルスと、意味を伴う 音 が、意識内で多分同時に出来ている。