距離がどうこう言って、ふと思いだしたこと
初めてテレビかなにかで見たミュージカルで突然歌い出したとき
90年くらいに自称のラッパーの人に会ったときにいきなりあの感じで話しかけられたとき
どうしようこれ という動揺があり、これはさすがに無理あるでしょうなどと思うのだけど、型で捩伏せられると受け入れさえすればそれ自体に距離を含んでいようがなかろうが、その型を基準に見れるようになる。(今でもなれてるのかはわからないけど) なんだか、コーヒーやら山菜やら大人の味覚を作りあげるみたいな感覚
好みはあれど面白いものなので、距離が近い遠いとかいうだけで不自然と見てしまうのはそれでもったいないことなのかもしれない。
そうなるとこういうことを考えていくことの意味があるのかと改めて考えてしまうのだけど、価値の構造やら条件を詳らかにできたら、それをその後崩すにせよ、1つの足掛かりにはなるわけでやはりこれは面白いこと
演繹的に作品を考えることだってできるだろうし