slackやらメール、ダブルチェックなのかなんなのかわからないが念のため読むことになる担当外の会議資料とか、対応を考えるために引き出す過去の資料とかネット上のメール文例とか、、。
リモートでネットワークを使用した仕事がベースになって、これだけ仕事内容が言語のやりとり中心となってくると、個人が抱えている仕事量というのは、時間あたりのその人を経由した流通言語量で測れたりしないだろうかと考えてみる。こういう考えは既にありそうというのと、業種で測れないものは勿論あるだろうとは思うけど。
忙しいという言い訳と、怠惰で続けられなかったSkypeの英会話、結局しっかり英語ができないままなのは情け無い限りなのだが、一時期はやっていた。で、そうするといろいろな海外の講師とレッスンすることになるのだけれど、ファイトクラブにでも出てきそうなにいちゃん講師が、(記憶が脚色している可能性があるが、タンクトップで登場してたと思う。)教材を進めながらも、その節ごとにサマリーを俺に説明しろ、と彼独自の教え方をしてきたことがあった。他にそういう教え方をした講師はいなかったのだが、サマリーを説明することは、言語を扱えるようになるための練習に重要な効果がある、と静かな目で言われ、(外見で判断するもんではないのはそもそもなんだけれど)見た目の印象をすっとばして、こいつの言う事は間違いないなと、なんだかわからない確信を感じたのだった。
留学してた友達のとこに遊びに行ったとき友達から言われた、他言語で言葉が出ない時、意図を伝えることができる簡単な別の言い回しを見つけることが重要という考え方。今にして考えてみるとよく言われることなんだろうけど、それと繋がったことも確信の理由の一つと思う。
そんなにいちゃんみたいな人が沢山いると、もし流通言語量なんてものがあるとするなら、その絶対量自体を減らすことができるのである。(勿論、楽しい会話は別腹として)
なんだか環境問題や二酸化炭素の排出量の話をしているような気がしてきた。にいちゃんはエコカーみたいなことである。減税してあげてもいいくらいである。その差額で襟付きのシャツでも買ってもらえたら良いだろう、なんてことを思うのである。
そして、今度はストレスを二酸化炭素に置き換えたとしても違和感は全く感じない。
要約は大事。