ブリオー氏の講演会で、写真のデータが膨大になって世界を覆い尽くしてみたいな話があった。ここ数年の人の作ったデータが過去の人の作ったデータ量を越えたみたいなニュースも少し前気になっていた。
これだけ多くなるとデータってその辺の石ころみたいなものに近い扱いなのかなとか。その辺に落ちてる石ころのがインスタの写真より情報量多いけど
要約されることが重要なのかな
過去のデータというのは、おおよそ精査されたものが残っていたのだろうけど、今は違う
ありものを引き出す時代みたいなことも確かトークで触れていた気がする
表象ということや、作者より読者というところで考えるということはこういうところにも繋がるのかとか
よい編集とか要約を出来る人が作家でもなんでも意味があるということなのかしら。(伝達効率の話ではなく)
勉強中メモ
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