20251006
いまさら書くようなものではないのはわかっているんだけど、今の仕事から、ちゃんと考え直す必要があるだろうと、たまにはそういう真面目さを持つことは良いだろうと、そういうことだったりする。 しばらくテーマに…
いまさら書くようなものではないのはわかっているんだけど、今の仕事から、ちゃんと考え直す必要があるだろうと、たまにはそういう真面目さを持つことは良いだろうと、そういうことだったりする。 しばらくテーマに…
違うことをやらないといけない、 という考えは作品などをやる以上、美術にせよエンターテイメントにせよ、例えば享受側の視点に立ってみるなどすればなにがどうあれ避けられないものとやはり真っ先に考えるわけで、…
ストレスポエムを書いてばかりいてもしようがない。 久しぶりに手に取った小説を、飽きずに読み進められると良いのだけれど。
表現?の形式に対しての相性はそういうところでも出てくるのかと思う。短編の小説なんかは改めていろいろ考えられるのかもしれないとか。 カルヴィーノとか稲垣足穂とか、勿論ボルヘスとか一時期は好きで読んでいた…
小説なんかも書いてみたいとちょいちょい思うし、なんらかのきっかけがあれば書くだろうと思う。言ったら昔の作品には小説といったほうが、寧ろという作品もある。 なのだけれど、いざやろうとするにはなかなか腰が…
タイトルなんかもそうだけど、いつ頃からかカテゴリーも入り混じって、そう明瞭に切り分けがなくなっている感覚。 ある種のそういうもろもろなんかについて関係がどうとか取り繕うとかしないで、政治とか活動とか言…
フィクション、下書き。 信用というのは本当に大きいものだと思う。また、ある集団の中での1人の言葉というのも思いの外大きいものだと思う。比喩として、例えばなんらかの敵対する権謀術数なりがあったとして、そ…
少し前のとある会話で、自分が日常会話が下手くそで、なんとかしようと思ってこういった文章書くきっかけの一つになっていたと、お喋りすることがあり、もろもろ思い出すきっかけになった。(勿論それだけが始めた理…
タイトルを無限に作り変えるか組み替えて、信用創造みたいなこと(違うけど)、膨大な作品を作り出すこと(になること)ができないかとか
作品の単位をほどく感覚は、自分が影響を受けている本に多分由来している。 ペソアの本(文章)と、テッドネルソンの文章。 ペソアのもともとから本の形式におさまっていない断章の数々が、その単位のままそもそも…