酒井さんからの質問
・なんで作品作ってるか?
美術作品の形式が好きだから、テーマは言ってしまうとあまりない、あえて言うとすれば言い回しの楽しみ
改めて口に出してみた、社会に対しての美術などいつものもやもやで、結局常に考えさせられていて、今は無視できなくなってるのだけれど、
そもそも「絵」が好きで絵を描いているというときの「絵」は「言葉」などと同様に伝達の媒体そのものを指しているわけで、修辞それ自体に目的があると思うのである、ゲームというか。
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互いを考えることについて
お互いを理解して、知ることがゴールになっていくような思い込みで捉えてしまっているが、正しいのだろうか
もしくは、お互いに共通点を見つけることがゴールのような思い込み、これはなんとなく打ち合わせがそこに向かいそうになりふと思い返したのだが、お互いの違いを認識して、差異を認めることのほうが世の中では共存し協働するときに考えることではと、独立した主体として、そしてそのように二つ作品が関係つけられるわけだから、違いを認識することのほうがポジティブな行為なのだろう。もっとも初動としては、相互理解の糸口は先ずは共通点になっちゃうよなぁという感覚。
お互いに近づくことが目標となる社会は危険だろう、閉鎖や排斥に直結する
そう、そういったコミュニティは閉鎖や排斥に向かう
しかし、本能的に共感や一体感というのは盛り上がるものだと改めて感じてしまう、一致することはそれだけで嬉しいものだ
h145の高さを使うことは、押し付けだとするなら差異より一致を重視する考えに近い、ただし作品として、主観としてそれの善悪のようなものは一切込めていなく、そのものとしてのみ扱いたいモチーフ。相対的に他の作品との関係で意味が浮上すればいい。
前のポストで書いた社会化された文法というフレーズは正しくないかもしれない
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4回目打ち合わせ
・面白かったフレーズ
「ドキュメント」を俯瞰して扱うやりくち。私は、組む人によっては完全に嘘ついた捏造のそれを作るとかもはじめにアイデアにあったという話。嘘織り交ぜようかなと思ってましたという酒井さん意見。(勿論、ここにも嘘がないと誰も言えない)
社会というと、大仰なのだけれど、知らない誰かとなにかをすることになると、お互いを知っていく過程はやはり踏むんだよねという話、ただ、その距離感をどこまで詰めるかは、踏み込まない、詰めないこともまたひとつ答え、潤滑にするため。
お互いを知る必要があるのかどうかという話から、このドキュメントが完全にお金のやり取りだったりしたら面白かったねという話。そんなビジネスライクな関係性だってあるわけで、お互いの依頼なりをお金で置き換えるとか
中山→酒井 での依頼
結局、自分の20代に作った作品になにかリアクションもらうのは面白そうなので、お願いしてみることにした、コメントでもいいし、形式は任せてみる。とりあえず昨日見てもらった感想では他者にたいしての態度はやっぱり違う気がしますとの意見。差異を明確にするのも、付き合い方の一つ。
こちらのこのアイデアのモチベーションは単なる興味本位な思いつきではあるが、そういう思いつきは大事だと思うので進めてみる。
酒井→中山
酒井さんをイメージする色についての質問
台上のパーツについてのこちらへの依頼(ディテールは後日)
そういえば、こちらの作品で気になるのがあったか?という質問。(大事!)では歪んだ原稿の作品とのこと、それ基準に考えていってみると、酒井さんのドローイングなんかと並べるのも一つの手だねーという別の流れ。初めのプランに合流していきそうなアイデアでもある。
明日は展示参加者によるプレゼン
編集中