敷金礼金なんぞ糞食らえだ
なんか一人だけシャワー浴びてスッキリしている猫を尻目にダウンジャケットの羽毛と暴れ回ったツナパスタやらをなんとなしに床に並べてみる、並べる?
なんだろうこれは、明日仕事なんだけれど…
猫はというと、ドライヤーで毛を乾かして、離れたところで毛づくろいをしている、
ラッコが家の出窓から賑やかしにやってきた
海産物のいい匂いを振りまいてなにをやってるんだお前らは
ものやら食い物を無駄にして、乱痴気騒ぎを謳歌して、こんなことができるのもそれ以外のところで、ニトリの家具を使って、無印の服を着て、工場で栽培された舞茸なんか食べて、、それは経済の格差やらの問題は棚に上げた話なのかもしれないが、効率的な分業だとするなら、ことこの国に関して言えば、言っても恵まれた余暇を謳歌できてるんだよな?勿論いまの政治やらなにやらを一切賞賛するつもりなんかはないし、これは数十年スパンの視点での話なんだけどさ
なんか急に思い出したよ
友達が東京の下町の祖父の家を譲り受けて、狭い家なんだろうけど、とにかく雰囲気のある家や路地でさ、象徴的なのがその路地の隙間の空に聳え立つ現代的な高層マンションが見えるんだ。近くに新しい都市計画で建ったんだよ、その風景がとにかく劇的なんだよ。そのときはなんかその印象から比べちゃってこういう路地がちゃんと残ればいいのにね、なんて話してたんだけど、その後建築やってる友達にその話をしたら、今は消防なんかの観点でインフラとしてそういう道路を拡張するようにしてるのだと、そう、消防車が通れるように。結局社会システムとして個人の負担を、例えばそこで火災が起きて結果我々全体が請け負う負担のリスクを少しでも減らすことを考えて今の街は作られていて、かくあるべきと自分も思うと意見していて、なんか自分がいかに単なる懐古主義な雰囲気だけで簡単に世界を捉えてるんだなと思った訳なんだ、わりかし我々の世界だと雰囲気のほうを礼賛しちゃうじゃないか
それじゃあ例えばさ、こんどは古い都市の碁盤状の区画が美しいとか、それを機能美の観点からみていったのなら、火災のリスクを効率よく減らした広い道路も狭い路地より美しいと見えてこないか?少なくとも今こうやって無意味な遊びをできる余力ということだって、その辺の剰余をいただいてるからこそのものなんてだって言えるわけだからな
今、俺は回りくどい自己弁護をしてるんだ、この意味、わかるよな?