オープンスタジオに行ってアーティストと拙い英語で話をしてくる
結局、いろいろで前回書いた方とはしっかり話できなかった。残念
別の作家だけどイギリスからの方としゃべってて面白かったので、備忘録として日記に記しておく。彼女は日本人のふるまいをコピーしたいということで、隠し撮りした日本人の映像と、それになりきってる彼女の映像を同じ画面上に並べるように編集してある映像、それと撮られた日本人のそのときの気持ち(後からインタビューしたらしい)と、そのなりきっている際の作家の気持ちのテキストを、インスタレーションといった内容。
大学きてもらったときソフィカルが好きって話で盛り上がってたからまさにな感じ。
なんかおもしろかったのが、日本人の文章が風景を即物的に書いている(鳥が飛んでるなぁとか)のに対して彼女の文章はだいぶ精神的な悩みやらなにやらな内容になっているところ(詳細は思い出せないけど、顔の緊張感とかから考えていることを想像したとか言ってたと思う)
彼女は日本人のを表面的(surfaceだったかな)、自分のはdeepだねと言っていた(これは、僕の英語力を考えてあえて平易に言ってくれていたと思う)
当然、後者は作品化する意識が絶対にある上で書いている文章だと思うので、少なからず出てくる演出的な意識など含め(ドラマは欲しいだろうから)精神的な言葉になりがちだと思うので、純粋に比較はできないのだけど、よく言うような文化比較そのままな構図が出来ていて面白かった。たまたま鈴木大拙とか読んじゃってるところだったから余計にそんなふうに見えたのかもしれない。
webで言語を介したやり取りが一般化しているこの時代にさすがにステレオタイプな考え方なのかもしれないのだけど、実際、宗教なんかでもお経を自分たちがほぼ音として捉えていることや、聖書は言葉として捉えられているだろうことなんか考えても、違うんだろうねーという話をしてちょっと盛り上がる。(草枕っつう小説が日本にあるんだぜって教えてみた)
ここらへんちゃんと研究してるわけじゃないから、もうちょっと調べてもいいことだなと思っています。これから調べようと思う。
関係する内容だと思うのだけど、マスターのときフランスからの同級生と、中学高校のときの哲学の授業の比率の話なんかを聞いてその差にびっくりしたことがあった、そのとき日本は哲学(倫理)っていっても歴史を暗記するだけで、考えたり議論はしないよと言ったら驚いていた。個人的な捉え方だけど、鯨を食べる食べないなんて議論ももしかしたら、こういう理性にたいする尊敬の態度とかから所以しているのかもしれないなぁと思ったりする。
そういえば、最近ニュースで絵文字が海外でemojiと呼ばれていることを知った、これなんかももしかしたら同じようなことの違ったかたちでの表れなのかもしれないなぁと思うのであった。