世界を見る際、効率良く見ようとするなら、既に編集されていて、流行っている「トピックやイシュー」的なそれを見たほうが早いだろうし、受容側もそれが今の問題だからと既に理解しているからそういったものを持ち出せば、すんなり大きな重要なものとして受け止められるのだろうと思う。
でも、そういうものとわかってはいるのだけど、どうにも素直に倣えない。直接的な身体なり眼球なりで向き合ってその上で表出する、なんてこと自体既に幻想なのかもしれないし、編集済みの物事もいろいろな階層で結局は受け取っているのに違いなく、
それでもパンクスや、私小説家や、俳人のような人々がこれまで直接の身体で関わった世界のなにかを、その小さい身体から発出してきたようなものがなくなることはないものと思う。思いたい。
もしかしたらそういうものは例えば、今だったらxやInstagramなんかで大量に放たれる中の1つのポストのような、なんならサンプルとされてしまうようなものごとなのかもしれない可能性だってあるのだけど。それに、言葉も他人の言葉でしかありえないのかもしれないけど。
有名な思想の受け売りで倣ってとかもそれは間違いないのかもしれないし、ウケるのかもしれないけど。
拗ねているだけかもしれない。本当に面倒な態度だと思いつつ