20251004

違うことをやらないといけない、

という考えは作品などをやる以上、美術にせよエンターテイメントにせよ、例えば享受側の視点に立ってみるなどすればなにがどうあれ避けられないものとやはり真っ先に考えるわけで、どうしたらそのようにできるかをない頭で考えるなりし、例えば、簡単だけど、これまでにないところまで質を上げるとか、これまで使われていない新しい素材やら技術やらそういったなにかを取り入れるとか、これまでNGとされるものに目を向けるとか、とにかくこれまでされてきたことを知った上で、ではないことを考えるとか、そんなことをしなければとか考えていた気がする。

本当に本当にどれだけ難しいことだろうかと今更思う。

昔、先輩の作家が更に先輩が使っているという喩えを話していた。メタルは様式美で、パンクは逸脱で、みたいな話、自分はやっぱりパンクがいいっすねーというやり取りをした記憶。どちらかといえば質の更新にはあまり惹かれないのかもしれない。

学生のころ、上のようなことばかり考えていたので、先生的な人達の言うことをそのままに聞いていった場合、結果その人以下にしかなれないのではないかなんてことを思っていた。(勿論リスペクトありきの話。)便利な言葉でいえば下位互換という奴。だからこそ、特にフレーズなんかは絶対に似たらヤバい忌むべき態度と気をつけていたと思う。こういったことを気にしない人は沢山いると思う。まぁとはいえど、そもそも言葉というものにオリジナルがないように、言っても至近距離にいないその他のあまたの先達に対してもとなるとそう簡単にできるもんでもない、。また、知れば知るほど、青臭くつっぱれるような代物じゃないことにも気がついていくものだったりする。

でも、もしかしたら下位互換でもいいのかもしれない。例えば色が綺麗な人と緻密な描写ができる人の教えで、まるで金魚の交配みたいだけれど、その二つの要素を継承したら、それは下位互換ではなく違うものにはなる。自分が突然変異みたいなものに憧れを抱くのは単に態度の問題なのかもしれない。或いは交配のフィールドや対象をもっと遠くのジャンルまで広げれば、結果逸脱のように振る舞うことは可能だとも思う。

うん、

いや、でも、やっぱり、なんかしっくり、、。

分不相応ではとか、おこがましいとか、そういう感情は常に抱えながら、ありがたいことにそういう場所での仕事をいただけている。ただ、そもそもがこういうスタンス故どうあるべきか悩んでしまう。どうあるべきなのだろう。

そもそもものを作るフィールドに身を置いた時点で、これまでのなにごとかに対してどう応えるかのスタンスが要求されるのは、どちらのロールであるかなんて関係なく、おしなべて突きつけられる同時代の要請であって、まったく同じ立ち位置にいるそれぞれということなのだと思う。

いや、でも、書いていて思ったけれど質についてどう見ているのかは語る必要があるのか、、あとはこういう態度についてのこととか

そうか、シンプルに、倣わないでもらえば良いのか