野心はそれほどない
現状身に余る状態と思っており、もはやギャグだったのではないかというか、こんなには必要ない、。
ほどほど生活できて、文化を解する方々との関わりが良い形で持てている状態があれば、自分は割とそれで良いのだけれど、それと、気がついてしまったのだが、これはどの仕事でもだろうけど、どうやら国民の義務への向き合い具合によっては、健康で文化的な生活から外れていく矛盾が現代の社会構造にはあるようなのである。
この辺のバランスの取り方はこの界隈殆どの悩むところだとは思う。
前のまとまった仕事の後、なんとか生きていかなければいけないので、fp的な情報を徹底的に漁っていた。タイミング的にやっぱりミニマリストやfireの価値観に行き着いたのだけれど、その辺の価値観が示唆しているのは、当然資産形成についてではありつつ、案外その先の、使うことで得られる幸福のあり方、使い方の計画を含めた資本主義のフィールド内での理想的な態度のようであった。(シンパシー感じたところで、モノは多いし、そもそもそんなつっこめるものがない)
正直、できるものであるならだけれど、時間にたいしてとか、本当に羨ましい健全な生き方ができるのだろうと思う。
制作の深みに入ることに終わりはないものなのだろうから、そこはやれるだけ触っていきたいものだけれど、そもそもなんというかそこのモデルも言うなら、クリストとかではなく、トレスとかオロツコとかそういう
そういえば昔すこし嗜んでいた(聴く方)、グラインドコアやスラッジの拗れた先のもろもろに、まだネットのインフラが整ってなかった時期だったからか、1人多重録音やってテープ出してたりするバンド?なぞを見て良いなと思ってしまったりとかそういうのも
見せる意味でウェブのあり方や、商店の使い方や、そういうスタンスは自然に自分が選択してきているあり方なのかもしれない。宅録のそれ
時空やスケールと経済の話
くだまいてないで、そろそろ作ろう。喋り過ぎ