作品やら言葉が、例えば分娩されてその後、独り立ちして関わっていく人やら環境や時代やらの影響で、自立して別の人格を持つことは、決しておかしなことではないだろうとふと思う
作者の人格と紐付けされて作品が考えられるのは、親の管理下に子供が在ることにも近いのかもしれない
そのように捉えると、これは私の作品だと言い張るのは、なんとも傲慢なことな気がしてもくる
とはいえ詩ではない言葉には、「文責」というような関係が伴うのは「普通」のことだと思うわけだけれど
旅でいろいろ話をさせてもらっての影響なのかも