タイトルなんかもそうだけど、いつ頃からかカテゴリーも入り混じって、そう明瞭に切り分けがなくなっている感覚。
ある種のそういうもろもろなんかについて関係がどうとか取り繕うとかしないで、政治とか活動とか言ってしまうでいいんじゃないの?とか思ったりもする。カテゴリー内が飽和しちゃって近接するカテゴリーを自身が足場にしている価値体系にシフトすることで作るということにしていったようなものものなのだろうとか、またそうでもしなきゃな状況だったというのも、カテゴリー間に見落とされていたスポットを発見できる可能性とかも、なんとなくはわかる。
そんなこんなで、そういう方面の言葉遊びみたいなことには(だったとしたら)なんだかつまらなくなってしまい、自分の場合作ってる物事が、結果何のカテゴリーに属しているでも良いんじゃないかと思っており、価値付けは誰かがやることとするで良いとか思ってしまっている。なので美術とかしてなくて構わない。(例えば最近見てないけどデイリーポータルとか一つ憧れるあり方だと思う。)その上でも作家という立ち位置があるとしたら、そういう前提に忖度せずに、直接の経験に由来する気持ちよいものをやるが自然なのではと思うようになっている。(なんか前同じこと書いてるなこれ)
なので、自然にそっちがやりたくてやれているのだとしたらそれは良い態度と思う。
また、例えばだけど、なんなら政治側とかそういう対岸?に立っている視点を想定したら、絵とかしっかりもの作ってることなんかも無くなるなんてことは決してないと思うのである。相当変で希少なことをやっている。
そんで話少しづれるのだけど、そういった感覚についてほんとにまったく別のこと、食べ物のことで感じることがあって、売るための戦略なのはわかるけど、コンビニなんかでサラダですと出張して売ってるけど、どう見てもこれは麺だよな、。とか、いやこれは肉だろうが、とか、、不条理な商品多くないですか?
まぁ、なんとなく酢入ってるとか、レタスがあるとか生のものあるとか、そこら辺一個くらい該当してたらサラダと主張できるという?ポテトサラダにしても、マカロニもほぼ炭水化物なわけで、、そこ基準に馴染んでくると、、自分には、なんだか寿司はサラダにしか見えなくなってきてしまいました。オニオンアボカドサーモンは完全にサラダ。
それでも寿司はまだよいとして、最近食べる度に思ってしまうのだけれど、ビックマックは、もうこれはどこからどう見てもサラダでしかない。
なんか最近体の調子がいいのは、つまりそういうことなのだと思う。嘘です