20250410

仕事の中でのもろもろの話の流れから、表現云々における(自分的)エンターテイメント性としてのレトリックとか、比喩とかいうのはなんで歴史の中で発生して、必要とされたのだろうかと考えてしまった。本当はこんなこと考えるのがおかしいことなのかもしれないとも思う。

でも、最近の美術なんかで、体感としてはそれほど重視されている要素ではない印象を持ってしまう。

そうは言えど詩はなくなることはないであろうし、人に必要なものだろうと思っている。

また、逆になんで現代に近づくにつれて、社会的な実践や、クリヤーな論理の伝達が重視されなければいけなくなったのだろう、とか考えてしまった。

修辞の発展的に詩がまだない時代があったのであれば、それはどんな世界だったのだろうとか