衝動的に勉強したいと思うことがあり、本など物色している際、勉強にかかる時間とそれで得られる効果についての打算的な考えが、ふと頭を過ってしまった。 やばい

時間が無尽蔵にある例が至近距離にたくさんある特殊な事情ではある、とはいえそれらと比較してしまうのはそもそも違うことで、そしてしがない経済主体である以上、とか言っても、とはいえど、それでも、、というもの。

なんというかシンプルにその可塑性が羨ましい。まぁでも税金とか払って(比喩)見える空間もあるんだと胸に納める。

たまたまついこの前、比喩的に言うところの“喫煙所トーク”的なそれで、基礎研究とかうっちゃったら長いスパンでは先細りになっちゃうんじゃないっすかね的なことをだべらせてもらっていたことが重なった。

自分が学生の時にそこらへんの政治的な転換があって、あほな学生だった自分であっても降りてきたその変化には気がつけたのだけれど(確かそれで見切りをつけた)

無駄なことに夢中になることに躊躇いをもってしまっているのは、違う。そしてあるタームの目標とかやっぱり違うだろうと思う。

そもそも収益を上げる(年単位とかで)ことが目的なのであれば、それは当然別の話になるわけだろうけれど

仮にそうであったとせよ、リソースの有限性に意識がないとか、そんな世界の話

いや、むしろそれは無駄なことサイドのアイデアなのか、腹立つけど