20211021

提出したカレーは通ったようだった。これは本気で嬉しいことだ。

そんなこんなで季節は巡り、既に食生活のインスタント率は飛躍的にはね上がってきてしまっているのだけれど、通った嬉しさもあり、モチベーションがなんとか持続できているのでまた作ろうと、いくつか減っていたスパイスを追加発注した。とまあそんなわけで、仕事の中での会話のコンマ数パーセントにはそんな要素が入っている。

同じ言葉だけは使わないようにと常日頃気をつけていながらも、そのように同じ言葉を使っているわけで、無意識にしれっと影響を受けて、やっちまったという自己嫌悪に苛まれるパターンがある。そこにはリスペクトもあるから本当に悩ましい。いつもそのとき、その場面のフィールドに点在する鮮やかな誰かのカラーコーンの引力をぎりぎり避けてスラロームをするように、なんとか進もうともがき続けているような気がしてしまう。つまるところそんな「個性」だ。

よくよく考えたら、それより先に気にしなければいけないであろう遠くに聳え立つピラミッドみたいな「これってあれでしょう」な歴史的なコーンは山ほどあるのだけれど、それも変なことだけれど、距離が遠い場合恥ずかしさの意味がちょっと変わってくる。そしてそれらのサイズ感云々は二の次の話だったりする。

前に書いた自分が受容するもろもろの配分についてのデザインなんてものに立ち返り、やはり考えないとまずいのかと思ってしまうそんな程度の個性。それで気にするのは、僅かにだけれど持っていた魚釣りみたいなソースとか。いや、自然に好きなことをやれば良いのに。