20210912

毎回加筆して絵を展示に出してくる友達を見て、そのやり方を、なんだか新鮮な、斬新なことのように感じたというのが、前書いたことに繋がっている、、かもしれない。その作品への態度に変な魅力を感じるのだった。長年描き続けたら、変わってしまうものもあるのだろうけれど、その時々で移ろう魅力を見せる絵というのはあっていいものと思う。

例えば、人にしたって次に会うときにもまったく同じままでいることはないのだから。

全然関係ないものごとだけれど、ダークソウルを初めてやったときにオートセーブで古いセーブデータに戻れない不可逆なゲームというのが新鮮に感じたことがあって、なんだかそれについても近いなにかを感じているような気がする。(ゲーマーではないので、知らないだけで、他にもいろんな形式はあるのだろうけど。)

真面目に記録ということで言うと、変化が加筆といえる範囲ではなく内容がまったく変わってしまうというのであれば、それは別の作品を作ったという話にはなってくると思う。

前書いた話は日記くらいのことではあるけど、アップロード後に弄ることがあるといっても、実際調整するのは、てにをはやら少しのところを弄る感じで、元の内容の軸が変更されるようなことまでは動かしていない。また、弄るといってもアップしてからいいとこ一週間とかそんなものではある。

これが作品についての場合であれば、自分の場合、内容が加筆と言えるような変化というわけにいかないから、動かす場合があるのであれば断り書きをすることにでもなるのだろうけど、実際今までに部分を変えたものがあったといっても、結局一瞬変えてすぐ戻したので、現状そういったものはない。まぁ、言っても真面目なものではある。

気持ち良さに耽溺するあまり、全てでたらめになって、天然で1984みたいなことになってしまったら、収拾つかなくなってしまうだろうけれど、そのくらい狂ってしまえるなら、もしかしたらそれも良いものだったりするのかもしれない。