20210714

なんだか、前がなんともな文だったなあと思っていてずっと更新したかったのだけれど、気分がそこまでではなく放置していた。

ネットになにか載せることについてのもやもやが続いていることも一つ。制作関連の出し方はちょっと考え直すことにしようと思っている。結果としてモチベーションにネガティブな影響が出てしまうのならそもそも意味がない。実際SNSなんかでのネガティブな側面へのアレルギーがだいぶ強くなってきてるので、ある時期からそこらへんは距離をとるようにしたことで、結局快適になっている。

別のテーマでの話だったかもしれないけれど、昔デザイナーの友達にそういう問題ってのはデザインの問題なんだって言われ、確かにそうかもなぁと度々その言葉を思い出すのだけれど、今のところはそこら辺のデザインやら設計については人やら社会やらのいろいろに対して決して良いものになっているとは思えないなぁと考えてしまう。

まぁさすがに、今ネットを使わないなんてわけにはいかないわけだし、古の生活に回帰しようなんて過激な考えを持つわけでは勿論ない。

ましてやこの状況、コロナのいろいろで人の関わりや会することについての、ネットでの様々なサービスが出来たり取り上げられたりして、背に腹はかえられず、試してみていちいちその設計についてよく考えるもんだなぁなんて思いつつ使うのだけれど、それでもなにかが違っていて、顔つき合わせて飲み会でも出来りゃ手っ取り早いのになんていうのをこの一年で何回思ったかわからない。

まぁ、飲み会なんていうのも、そもそものこの身体というフォーマット基準で、長い時間をかけて徐々に適切な設計に、(もしかしたらこの文化なんかにも合わせても)取捨選択されて残った結果なわけだろうし、それだって世代によって既にベストなものではなくなってるわけだろうし、その形式に馴染めないキャラってのも、もはや一つのテンプレである。例えば自分にして考えてみても、居心地が悪いときなんてのは勿論あるわけで、そもそもが簡単ではないものごとなのだった。

まあそんなことをいいながらも、オンラインになってある部分では楽になっているところはあるからうまく付き合って行くべきなのだろうけど。

そういえば、こうやって文章書けるのもそうだけど、魂の余裕が出てきたのだろう、久しぶりに料理も少し再開している。再開といっても、繁忙期の反省から身体整えよう→フィットネス(意識低め)→外食できない→オートミール試してみる→からの少し料理 的な流れがあってのこと。長らく返答できていないお題となっているカレーをしっかりやりたいので、とりあえずリハビリ的に放置されていた冷蔵庫のストックで久々に作ってみた。あると思ってた生姜、生の生姜は当然のことチューブすらほぼなくなっていて、芽が出ている大蒜、シワシワに縮んだ玉ねぎと、もはやいつ冷凍したのかわからない鶏胸肉とトマトと、だいぶ残念な材料しか揃っていない状態だったのだけれど、同じタイミングでレシピなどを調べていて今までテンパリングは先にやるもんと思っていたのを後からやる方法を知ることができ、試してみたらすげー美味くできたのだった。少しだけ上達できた気がする。いろいろ試したくなってきてカスリメティとかも買ってしまった。楽しみ。

そのカレーについてのネット調べの中で、凄い方のnoteを知ることができた。実証やら考察やらほんとすごい。読み物としても楽しい。出版されている本買ってみようと思う。こういうのを見つけると、やっぱりインターネットも悪くないか、なんて思ってしまうのである。