会話からの覚え書き

作家が作品についてクリアーな説明ができることは、アカデミックな場面とかは省かないとそれは成立しないだろうからともかくとしても、修辞の可能性の拡張からは反する動きだと思うと、そういうのは俗物と思えてしまいそうで

じゃあそれならと、批評みたいな役割を、別の主体がクリアーな説明をしてくれるということもなくなってしまうと、一般的な意味では、価値を定位することが難しくなってしまうと思い、そうしたら仮に発展みたいな運動が実際にあるものだとしたらそれもなくなってしまう

けれど、一般的な意味で既に定位できてしまったものは、認知されて、共有された修辞だから、作る意味が淡白になっちゃってるもので、面白くないということになる

かといって、知っている設計図をはぐらかしているだけというのは簡単に思うわけで

こういう別階層からの考えだけを起こした言葉を喋るようになっていく気がするけれど

それが果たしてよいのかどうか。これはこれで、現実的な生活からはどんどん乖離していってしまう。そういうリアルな写生みたいな運動がなくなって良いと思っているわけではなく。

それぞれのポジションの取り方だけの話なのかもしれないけれど