20190910

景色に枠などないから写真やなにかで矩形に切られるのは暴力的なのではとかひと時考えていたけど、そういえば人の視野にも枠はあるのだった。

vrとかやったことなんかも影響してるのか

そもそも備わった枠や限界を認識することは難しいのだろう。超越論とかいうのはこういうことなのかしら

旅行に行く気になったのも、そこらへんの意識があったりした。そもそも、前に書いたようなことでどうしようもなく落ちていたので、ここに行きたいみたいなポジティブな意識よりかは、この状況抜けないとというネガティブな動機の方が多分に強く、なんとなくそこには情けない気持ちのようなものも幾ばくか持ちつつではあったのだけれど

とはいえ、外にでてなにかを見る重要さは、岡倉天心とか鈴木大拙とか、そういった人たちの本なんかを読んで、気がつくための近道なのだろうと勝手に思ったりしていたのもひとつの理由

たかが旅行と言ってしまうとそうなんだけど、結果たかが旅行ではまったくなかったので、本当に感謝してもしきれない

内から見る外の限界は霞んでいて、そこに限界があることすらなかなか気がつけないことなのかもしれない、ゼロの概念を見つける難しさみたいな感じで