考えてみたら 「きれいな色」 という概念ですら、定義できるようなものではないのだった あらためて感覚に対する言葉というのはこういうものだった 美術を意識しだしてからの会話で、学校なんてとくにだろうけど…

それだってなんの保証もないわけだけれど像を中介した共感、言語みたいなことではなく、経験が、作品と呼ばれるものを触媒にして何故か共有できている気分というのが、優れた作品から起きていることなんじゃないかと…

文章が目の前にある感じをもう一度考えてみる 頭の回転が早く会話でアドリブのきく人は凄いなぁと常々思うのだが、そういう人はもしかしたら頭の中に文章が組み上がっているのかもしれない。自分はそうはできない。…