それだってなんの保証もないわけだけれど像を中介した共感、言語みたいなことではなく、経験が、作品と呼ばれるものを触媒にして何故か共有できている気分というのが、優れた作品から起きていることなんじゃないかと考えてみる

なんか作り手(だけではなくとも)どうしで作品見てて共有できてる感があるときというのはあって、言語化できなくともその手ごたえを出来ないなりに水際まで言葉で追い込もうと努力するのは楽しいことだったりする。感想てそういうものな気がする。

これは別に作品だけのことじゃなくて、いい作品作る(とこちらが思っている)人といるときにたまにあるのだけど、なんでもない同じ風景を同時に注視してしまうことが起こることがある

恐らく言葉以前の経験の領域でも一致するなにかがあるから共有できてる気分を伴うのではないかと考える。

だから、その触媒を作る、見出すことなのではないかと思うのだ。伝達の為の言語ではなく、それだけではない作品になっているものを作るということは