参照するh145

酒井さんにオーダーしていた、20代(酒井さんくらい)の頃の作品についての感想を頂けたので掲載。手書きの文章が元になっていて、こちらも許可をいただいていますので、いずれアップロードしようと思います。

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やっと落ち着いて座れるようになったので中山さんの作品について個人的にまとめるために書き出しを行ってみる。 まず、どうしても想像してしまうのはセクシャルな感じ。これは本人に聞いたわけでも解説に書かれているわけでもないのでただの私の妄想である部分は否めない。 ので少し言い出しづらく言い出せなかった。 (インスタレーション系の作品が多く考えがあっているか分からないから少し言いづらい部分もあるのは正直) 以後、ただの視覚的な感想と考察(一方的なもの。脱線する話) 後半(時期でいうと前)を中心にとのことだったので後半から。 これは既に話したことではあるけれど、やっぱり根本的な部分はすごく違うのでは ないかと考えた(ふとした時に)こちらとしてはただただ興味が出てくる作品が多く内容が気になるのですが、これは聞くことではない気がする。(作品への質問へのタブー感) 後半の作品は中山さん自身が物理的に関わっているものが多い印象。CDに情報を入れそれを自身で剥がして壊すような作業。皮脂、線として残るわけではないけれど 人間の残せるものの1つではあるよなと。あぶらえであるの一文に少し笑った。 「確認行為」というタイトルの作品があるように、これらの行為は自身の存在の確認のために行われていたのかと勝手に妄想する。

CDに飛び込んで吸収されていくような図を挟みたくなり落書き

CDROMに飛び込む人。人がCDに情報として入っていくような。人の情報の管理が1固体として数値化してしまえば人1人の体積を考えずにCDROM1枚分の厚み1 cmにも満たないようなもので把握できる。人が一気にちっぽけなものに思えてくる。でもこれも人間の一部でありこれらの集合で人間ができていると考える。(軽いものを重ねて重いものになるのかという点は不明。本当は宙を浮けるぐらいぐらい軽いのかも。でも現実的にCDは重力で地に落ちるのでこれはただの脱線)

自身の把握私自身はこれを繰り返しているわけですが。 寒天で型取りして食べるのは考えたことなかったなーというのがまず1つ。自分に人食の趣味・興味はないのですが食べるという行為は大きな確認作業であり、愛することだと思うので衝撃を受ける。あと単純に光景としてシュールで面白いなというのと寒天てこんなに綺麗に型取りできるんだという感動。わざわざ味付けするの がシュールでいいなと(シュールという単語を使いがちだけど言ったら失礼かもしれないし自分の伝えたいニュアンスとは少しづれを感じるため何か他の単語を探す。) 身体の型取り、身体のサンプリングした音をテクノアレンジした曲で震わせる。寒天が生きているみたいに見えるのかなと妄想。(実際は不明)→自分は見ていないから

行為だけを単純に考えると寒天を食べているという食事行為なのですが、光景が食卓のそれではなく、実験風景という感じ。関係ないけどコマ撮りが○○してみた的 なイメージ。エコー写真に懐かしさを感じた。
蚊 自身から血を吸っていくもの。ある意味血が通っているものであることの証明
ではある。潰すとゴミになって 痕跡のような
ふといつからか軽く潰して手に血がつかなくなるように潰そうと考え始めていたな
と思い出した。(この場合は造形に気を使っているわけではないのでただの脱線で
ある。)

ここで振り出しに戻りなぜセクシャルなイメージを勝手に抱くのか考えてみる。 (自身の頭の中がお花畑であることは一旦置いておく。) 生々しさなのかなと。一言で言ってしまうと簡単に言いすぎな気もする。ただ、先日の打ち合わせのさいに同じような歳の時、同じようなことを考えていたと言われたことを考えすぎているのかもしれない。まだ考えてもいいように思う。(ただ先 にお借りしているファイルの影響もあるかと思う) 共通を感じられたのは自己の確認的作業のことなのでしょうか…?

脱線)最近思ったんんですけど、なんとなく絵を描いたりものを作ったりするのが 好きというか合っていたので絵を描いているだけで他のことで(文章とか音楽と か?…etc)やりたいことができるのならそれでも自分は大丈夫なのかもしれないと 考えた。ただ、兄より確かにできたのが絵であっただけで(幼い頃より自分の出来 る出来ないの基準は兄にあるように思える。)もし文章をとっていたらどうなって いただろうと考える。結局画材が変わるような感覚で方法が変わるだけであまり変 化はないように思えるが。元々文才がないのは置いておく。それ以上に音楽は向か ない。また脱線

生々しさ生ということと性ということのバランスというか書いていても上手くまとまらないんですけど、本物が欲しいのシリーズとかには感じないけれど後半ページ には生々しさを感じる。生きていること。 生々しさでいうと日銀の展示もなんですけど、それとは別のでも元々意味というより行為、言い換えの楽しみみたいなお話も出ていたのであくまで一方的な妄想。
こちらの提案とともに少しお話をしてみようと思う。

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見ていただいた作品

 

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20171106

再度酒井さんと打ち合わせ、 酒井さんから新しいプランの提案をもらう。

良い。

そもそも、絵画と関係付けて設営を考えられるプランとは考えていたが、完全に死角になっていた。いいアイデアというのは、案外身近にあるものなのだ、と再確認した。また、このアイデアが酒井さんから出ていることもアイデア自体の内容に非常に意味がある。

基本的にどうしても年長がイニシアチブを取ってしまうことはこの企画で、気がかりだったことなので(勿論いい効能もある)、素晴らしいアイデアを出してくれたことが非常に嬉しい。これがいいと思うんですよねーと自信を感じるところもまた良い。このタイミングで動かせるのは、この経緯の中でもドラマチックだ。