参照するh145

私の展示プラン「参照するh145」の展示空間外、事務室を経由する展示方法について、アートラボはしもとの会議において、不許可の方向に動いているお話をお聞きしました。

参照するh145は、絵画展示設営の際、基準となる鑑賞者の平均の視点の高さ145cmに目安として貼られる水糸をそのまま作品として展示する作品内容となります。

この作品は、絵画展示という社会構造のある一つのサンプルから、それを提供する際、最大多数の人に快適に受け入れられるであろう平均を作り出す構造、また、絵画展示から切り離した際にも、ある平均の人の視点の高さ、或いはこの作品においてそれは平均の誰かの消失点を示すことになり得ます。消失点は近代以降の自我の暗喩となります。

これは、社会システムが任意の誰かに対し期待する平均であり、それは多数にとっての快適さを示しつつ、同時にそれに外れた者にとっては押し付けられる平均という二義性を合わせ持ち、議論の契機となる可能性を孕む作品です。

美術史でたびたび言及される作品に、

高松次郎《カーテンに関する反実在性について》

リクリッドティラバーニャ、《無題(自由)》

など、展示空間外を志向する作品があることは、改めて伝えるべくもないことと存じます。

展示空間外を含め、この作品がその意味するものを言及していくことは、美術の制度の持つモチーフを使いながら、美術外の文脈にも接続する試みとなります。

アートラボはしもとの存在意義に協働の意図があると学芸員の加藤様から、初回の打ち合わせの際に説明を受けました、運営の形式を拝見しても、大学というある種社会から距離を置きがちな空間から開かれた社会へと繋ぐ機能を担っている素晴らしい場であると認識しております。

この作品は、アートラボはしもとにおいて、また今回の協働というフレーズから端を発するcross references、”相互参照”、お互いを考える展覧会において、確実に意味をなす作品と言えるものです。

プランの検討をお願いいたします。

20171105

主張するところはしないといけない

といいながら、私も沼下さん岸本さんのアイデアにあった、参加者の企画プレゼンテーションの際、ペアの相手のものを喋る、というプランを断っている。(他の委員の意見も総合して決定されています。)絶対面白いアイデアなのだけれど、この全体の時間、人などを俯瞰してここで行うのは難しいと判断したのだった。主張や交渉は楽しい時間だ