随筆

沢山面白がって会話をすると、自分の軸みたいなものは気がついたころに少しシフトしているような気がする、それは良い部分もあるだろうし、良くない部分もあるとなにか思う。落ち着かないという感覚が適切な言葉かと思う。なにかの基点の必要が生じていて1つのそれを打とうとしているのか、なにかを書こうと思う。

会話の流れで、生き物や植物を育てる話がたまたま起こり、また何故か最近気に入って見てしまっている、そして何故か癒される鳥や爬虫類の餌用の虫を飼育(それ自体を目的として)している動画を眺めていたら、飼育という概念に意識がフォーカスした

そしてそのようなそれ自体目的として飼育されていない生き物の飼育に小学生くらいのころ興味を持っていたと思いだしたのだ

幼いころから、生き物がとても好きだったので、沢山の生き物を捕まえてきて、飼育していた。生き物の飼い方  といった本に書いてあるような諸々の種類を一通り飼っていくなかでやはりなんらかの好みが反映され、好きな飼いたい生き物というのが出てくる。

造形的な魅力や、希少さ、などそこでの惹かれる要素は生物によりけり様々あるわけなのだが、よくある昆虫や、甲殻類などを飼ったその後に、その惹かれている価値観に照らし合せて当てはまる鮮度ある、次の回答を求めたのである。というと回りくどいのだけれど飽きたから次ということだったのかもしれない

結果、高級で希少なペットなどはそもそも無理だったので、そんなことより身近な価値を発見する方向性の方が安易ではない選択のように思い(とはいえカメレオンなどを飼うことには本当に憧れていた)、確か思い出すところでミジンコやトビムシ、カネタタキ(小さいコオロギ)などなんとか飼育できないか環境を作るところくらいまで遊んでひと段落したように思う。

結果を言うとミジンコは富栄養化しすぎた水にしてしまい、肥大したミジンコが発生し、状況が気になって顕微鏡で見た結果、恐らくラッパムシという別の微生物がミジンコの表面をびっしり覆っているのを発見し、あまりの気持ち悪さにそのままどこかに流した。

トビムシは真っ赤なものや、変わった形態などバリエーションに魅力を感じ集めようとしたが、いかんせん微小過ぎて指では潰れてしまい管理にはいたらなかった、採取がそもそも土の単位になっていて、生物単位で扱えていなかった。

カネタタキなんかも同じような理由で頓挫した記憶がある

こうして思い出すと、全部詰めが甘い思いつきでおわっているので、話としては面白くはないのだけれど、改めて飼育ということの価値になにを感じていたのだろうと思いを巡らせてみる。

今からそのころの意識を思い出すことは難しいのだけれど、生物自体の造形的な魅力を楽しむことに加え、恐らくこちらの管理下で閉じられた持続可能なライフサイクルのシステムを作る箱庭的な視点に興味があったのだろう、だからかその生物がそういった環境下で繁殖を行えるかどうかは自分の選定の基準として重要な要素の1つだった。

こんなことを思い出すことに意味があるのかないのかはわからないのだが、なにか今捉え直すことが必要な気がしたのだ

当然今これを考えると、作品の制作、発表での手続きと比較して考えているわけなのだけれど、当時の自分はそういった価値観を発見することを誰かに表現する意味では行っていない、勿論ブログなどもない、友達なんかにごくたまに話すことはあったかもしれないのだが、恐らくは飼育することまでで個人の中で完結している愉悦だったのだと思うのだ。

覚え書きとして