ドローイング_猫

記憶を辿ってそれまでの風景を紡ぐ

それで天文学的な景色の数々は生まれてくれるだろうし、わざわざ外に出たところでそう新しく発見できるというものでもない、だがそういうものではないのだよ

同じモチーフを、延々と描き続けるということが、画家というのはそういうものだと、手と目との間での循環に快楽を求めるのだと

何故か内省的な詩人の本を読んでそれと同じことを考える。別に絵でも文でもどちらでもいい

またなんだかわからない気分の揺らぎで、その内面の反射の繰り返しみたいな世界に辛くなる、かといってそれでは旅行などといっても大抵の世界はなんらかの形で既に目にしているのだ、

いつもと違う道を通り、しばらくの友人と久しぶりに会う。求めているのはそういうことなのだろう、どちらかというと可能性に対してどう感じたいのかという、そういった扱いの問題なのかもしれないと、やはりこれも簡単に気分の問題なのかとなにか思う

絵を描こうと思う