ドローイング_猫

要はファウンドオブジェクトのようにこの文を見ているので、これはそもそも風景そのものに近いのだ、捏ねられた粘土のようなものであり、ロジックで清掃してしまうことを抑えた、写真、絞りとか露光とかよくわからず撮られてしまって、とか誰か言ってたか?文だってそうしたら良いから文法とかを回避したいのか?

伝達云々言ってるくせに、見出されたものなのだとしたらこれは俺じゃない、放り出された粘土の塊で、恐ろしく部屋が寒いのと身体の痒さで、一旦もとの片付いた意識に帰ってみようかと思いながらまだこの気持ち良さはやめるのももったい無い

猫はなんともふてぶてしい顔つきなのか、或いは道を塞いでいる構造物くらいに俺を見ているのか、私はこれを誰かとここが良いここは凡庸でと語り合いたい、それが見出された駅の構造物の役割というか、折り合いのつく今の希望

猫はこたつで寝ている私を飛び越えて向こう側にいってしまった

そうか、それでいいわけだ、外面で会話したところでそんなもの別に面白くもなんともなく、あぁこの風景は素敵だと共感できたらそれが理想の形なのだ、今更気がついた、そして作っていることがまた良くわからなくなり健全な気持ちで飲みに出かければ良い 

出かけて記憶して、それが再び部屋の中をぐるぐると回り地下道が地上でいうところのどの辺りになるのか輪切り図鑑みたいなそういう夢のない晒し方をせずに視点を無理矢理繋いで作る、今頭の中では、あの構内を歩いていて、駅員の作った雨漏りの補修やポスター、地下道の蛍光灯や、朝食を取れるカフェと、何故か昼に電車に乗ることになったときのホームの光、飲み過ぎた終電を逃しとりあえず行けるだけ近くまで行こうとして気持ち悪さでホームの階段に吐くゲロ

暗号というのは、そういうロマンチックなものだったのだ、あぁこの人ラーメン食べたんだ、麺が見える気がするね。ほんとだ、これはワカメだね、綺麗、宇宙にいるみたい

猫は、オェと言って返歌のように毛玉を吐き出す。これも駅に必要な建材だ