ドローイング_猫

結局のところ、それはお前の態度の問題なのだ

通勤路で私の目の前をふいに横切った老猫がそう喋りかける

旅行嫌いの思想家がいるように、ルーチンにも楽しみを見つけられるように、多くの人がシュミレーションゲームを楽しむように、、。

よくある台詞、よくあるシチュエーションに当て込んで、偶然の老猫の遭遇に、シーンを押し付ける。私は目安の格子を照射して、物語は私の勝手で改変される。

しかしどうなんだろう。こちらの態度次第で世界の様相はがらりと姿を変える、、、なんて台詞は使いまわされたよく聞くものだ

それはそうだと理解しながらも、「この」気分がそのように都合よく変えられるのであれば、世界は限りなく楽しさに満ち溢れている筈なのだ、そもそもこのような文章なぞ生まれる必要もない。

私が一人の読者として、私の記述を遡行してみる、どうやら何度も同じ物事を肯定的にか否定的にか捉え直し続けているようだ、世界の変化は気分でしかないのではないだろうか?自らの気分の変化だけが、風景との接点で摩擦を起こしている、それは言い過ぎか、とはいえ、安定した基準のような意識なんてものはない

わたしは気分なのだ