随筆

アーカスでのお喋りやらドローイングシンポジウムやら振り返ってなにか考える

絵も、言葉も写真やビデオでもなんでも恐らくなのだけれど伝達が妙にうまくなったりすると媒体自体が自己目的化して、それ自体を遊びだすと、そこから作ることが発生してくるものなのかなとなにか思う

ちょうど、今まさに自分も写真やビデオをエクササイズしている(つもり)なのでそのように思ったところがある、うまく撮れるようになるというのは達成感のある楽しみだ

絵は素直にエクササイズみたいな気持ちで取り組むものと今なれない

というのは写実の先の暗喩やナンセンスやイロニーやその先のなにかみたいなことに照準があるとするなら、(価値観が確立していないものへの野心を持つのだとするなら)

単純なエクササイズしても得られないものになるという確信や直感があり、だからこそ、そのエクササイズ自体も考えていかなければいけないわけで、結局迂回路をとるしかないということになるわけだと思う、けどこれが、ゴールのわからないものをなんとかしようとすることにこのジャンルの一番面白い部分があると思うので

やっぱり動き続けるしかないのだろうなぁと思う、これもその一環、文章、絵、ビデオとか延々

案外今基礎的な書道とか始めたら楽しいのかもしれない

そして、批評的な考えは必要だけれど、やっぱり作る熱量に対してはネガティヴなものと思うので、自分なんかはとくに付き合い方をうまくするべきと思うところ

とはえい、修辞の今の時代考えるなら、知らなければいけないわけで、、

以下繰り返し