随筆

英語喋れるようなろう  自戒

いろいろ喋ってきて備忘録として

ミニマルでコンセプチュアルで、参加型で、社会に開かれてるというのは(やな言い方ではあるけど)今のスタンダードなんだろうなあと思いつつ、懐疑も持って捉えていて

例えば演劇みたいに解釈したら、その脚本に作品の本質があるとするならそれは文学ですむ話だよなと(ちゃんと言えば言葉も物みたいなもんだと思うのでそれだとディテールはあると思う、文体とか)

そう考えてしまうと、ディテールというか物の方は無視することはできないわけで、絵の絵たる要素やら演劇の、音楽の、とコミュニケーションデザインとか、政治とかそういう媒体から考えるのもプロセスとして悪いとは思えない

作品構造だけでなくディテールも含めたことを考えるわけで、それはそもそもの媒体のありかたとそうは変わらないのではないか?と所謂作り込むことを肯定的に捉え直していたのだけど

もろもろ話したり、見てきたりしたらミニマルで〜なのはスマートだなと何故かまた思ってしまった  媒体である必然性が弱いならミニマルにしちゃっていいんだろうなぁといったところ

重要な感覚な気がする