ドローイング_猫

そしてそういえばなんで少し前、私は虚無に惹かれてしまっていたのだろう、

まぁ何年も生きていればたまにはそういう時期もあるものだ、ことさら病む性質というわけでもないと思うが、そういう時期を経験しないほどイージーには生きてこれてはいない、尻尾が増える気持ちだってわからないではない。

入り込む情報を、そして時間の経過もカットして何もないという空間を眺めるのはなにかを時間をかけて整理しなければいけないときとても良い、なんというか凪ぐ、という言葉が適切な気がした

こういう形で風景に目的や意味を与えるなんて本意ではないが、必要がある以上嘘もつけない

そういえば寝る前に羊の数を数えるというあれを最近アレンジして、ある程度のカウントから何回も羊が22匹、羊が22匹、羊が22匹と繰り返すようにしている、脳みそが少しだけ安らぐ、平穏な時空の流れよりも、より

そうだ、転換はストレスになる、しかし止まった風景にとどまれるのは、結局、僅かな時間だけなのだ、いつまでも猫とだけ遊んでいるわけにはいかない、そう思いながらまたあの海に私は少しだけ帰る

猫と私は改めて海岸に立つ、海は濃淡の強い雲と、同じグレーで目の前に広がっていた、この描写は「この」私が先日見た海の風景から描かれることとなる