ドローイング_猫

そういえばこれも忘れていた、海の先にはなにがあったのだろう

なにが起きるのだろう、なにが起これば理想なのだろう

天井を眺め照明から壁に向けてのグラデーションをなぞる、わりかし良い傾向だ。

外出する気がないのならと、私は自宅に猫を呼び寄せて、物語りの続きを語り合う、猫にコーヒーをいれようとする  違うのか?緑茶がいいのか、改めて緑茶をいれる。

ぼんやりと私はテーブルの向こうを見やる、海の先を夢想する、斜向かいで猫は緑茶を飲んでいる

それだけの時間がゆっくりと流れていると書く

そうか、なにも起こらなくてよかったのだ、そして、海から帰る?違うな、なにも起こらないのだから帰ることもない、そこで、海で、物語りは終わる、というか止まる。景色がそのままの姿でなにも起こらなくなる

そうだ、この、風景だ、限りなく静謐で、世界の何事からも断絶されて、時空の乖離した、中断した物語りの最期の風景だ、私はなにも期待をせず、(期待する必要はない、進まないのだから。)未来を考える必要も、過去を顧みる必要もない

区画は硬直した完璧な景色へと変貌を遂げる

そんな絵を描けばいいのだ、これはその癖、現実のこの私に繋がる物語りになってしまっている、本当にこういう作品を作るかもしれない。

けっこう区画の横断は容易いのかもしれない、猫がウインクをした。