ドローイング_猫

そういえばしばらく記憶から風景が抜け落ちていた。なにを見ていたのかよくわからないが、日常の行き来にあるものとして以上結局なにをも見ていなかったのだろうと考える

違う、それ以上を見出さなかったのだ

余裕がなかったのかもしれない、連中は連中の時間を勝手に生きているわけだろうし、それは私にしても同じことだ、干渉することもない。

こういうときに思うことなのだが、余裕というのは経済や時間だけではなく、精神的なそれも大いに含まれるのだと、そういうとき、必要なもの以上意識には映らないのだ

そもそもそんなときは外出も億劫になる

画家や小説家はそんなときでも常にそれを課しているわけだろう、大層なことだ

どうしようもないのであるから、睡眠と必要最低限の物事と、そして囚われているなにかと、ただそんな生活になっていく、ここで例えば犬でも飼っていて散歩の催促などされても本当に面倒なのだ。

草枕ではないが、こんなときに暑苦しい絵画なんて見ようとする気持ちがおきるものじゃない、単なる四角形の区間に虚無を投影するくらいが丁度良い、私は天井の区間を眺め、空虚を見続ける、それも風景なのだ