随筆

ホイジンガ読んで、遊びについて考える

ひとまず、遊び  とウェブの辞書を検索してみる

1 スポーツ・趣味など好きなことをして楽しい時間を過ごす。「野球をして―・ぶ」「よく学び、よく―・べ」

ホイジンガの言う遊びは独立した空間で行われて生存の為ではない目的で、ルールや前提の共有があって、競技的で、真面目ではないもの  てな感じにざっくり捉えていいのか?、スポーツやチェスみたいにあまりに真面目になってきているものは遊びの概念から外れていくと捉えているよう

競技的な、競うことはだいぶ重要な遊びの要素として捉えられてるみたいなのだけど、一人遊びなんかについての言及は少ない

少ないページながら、秩序整然とした形式を創造しようとする衝動とか、パズルとかモザイク作りなど解決の気持ち良さとか一人遊びのそれについて語られている(勿論副次的に、競う感覚はあるだろうけど、もっとそれより前の根源的な楽しさとして)

遊びの定義の範囲の話となるとここでの論点はズレていくのだろうけど、自分が自然に遊びという概念として今まで認識してきた範囲で考えてもそのへんはけっこうなウェイトのあるものだよなあと思ってしまう

そして、私は生存の為の仕事の中にもそういった楽しさがオーバラップして現れることがあると思い、仕事に楽しさを見出すというのはこういった価値観がだいたいなんでないか?とか思う

企業での成績の競い合いやら釣り師の釣果のそれなんかは当然競技的な意味で書かれてるのだけど、自己完結する遊び的な要素については?とやはり読んでいて何回も考えてしまう  遊びではなく、単純に美的な感覚とか言うことでいいことなのかもしれないけれど。(遊びの面白さをそれ以上言い切れない美とかリズムとハーモニーと言っているのは物凄く共感できるし、だからこそ必要以上に言葉がないのだろうとは思うのだけど)

作り手にも競うことのほうが美を扱うことより大事そうなタイプってのはいると思う

また、別の観点だけど、自分がはまった釣りとかそういった趣味というのは、雑誌なりの伝えるイメージを再現できることに快楽のけっこうな部分を占められているのだろうなぁと今にして思う。(もちろんそれだけじゃなくさっきのリズムとハーモニー的な快楽も付随している)

それも自己完結の目的といえる

そういえばなんかの本で、アウトドアブームはメディアがイメージを作って云々というのを読んだ記憶があるけど  これって最近の遊び、さっきの釣りやらスケボーやらこういったもの全般に通底する構造なのかもしれない(牽引がメディアでなくとも、あるイメージを再現することに快楽があるという意味で)

関連本で良く出てくるカイヨワとかも読んでみようと思う

真面目ぶりすぎた。作品つくるのもそういうことじゃなく 遊び、、