ドローイング_猫

猫と私は風景を眺める

あぁ、どれだけ逃避に憑かれている、逃避してきた筈の風景の中の私たちに風景を再び眺めさせている

入れ子状に避け続けても最後の最後には、内側の中心に居ることはバレてしまう。それでも、その姿勢を取るということだけでほんとうに救われるときはあるのだ、そして午後3時くらいの黄ばんだ太陽の光と海を私と猫は永遠に見続ける、、いや、やっぱりそれも違う。そんなに具体的な映像も情感も必要ない、もっと、もっとずっと理由のない、語るようなものではない風景でいい、そういう気分ではないのだ。

私は世界に疲れているのだろうか、それとも風景に憑かれているのだろうか。いや、風景に憑かれてなどいない、好かれているわけではないのだ

黄ばんだ太陽と、思い出す空腹、夕食にカルボナーラを作る。とても上手くできた、素晴らしい。卵を入れるタイミングは火を止めてから少し我慢して冷まさないといけなかった、やっとまともなものになった。それを眺めるのは自分だけだ。ここには猫はいない、調理場に動物は入れられない。欲求が付随しているから視線は熱量を伴う、意識は運動している。猫は料理をしない