ドローイング_猫

逃避だ理由がないだ言って謙遜するポーズに美意識でも感じているのか、本当に面倒な人間だな

夜の国道沿いを猫と歩く

猫はこちらに関心などないようにしながらも、隣を歩いてついてくる。

生産性とかそういう話、こういうとき産業革命とか剰余価値とかみたいなことでも引き合いに出したらいいのか、よく知らないけど。ペットとかってそういうもんだよな

猫にというより夜空を見て呟く

猫は機嫌の悪そうな表情をし、牙を少しだけ見せる

思想家なんてのは勝手な生き物だ、考え方、私達の辿る道を勝手に作ってしまう、そうでなくとも我々は自然と世界に期待を押し付けるのに、それを更に煽るのだから猫からすれば牙をむくべき存在なんだろう

とまぁ、そんなこと言ってみると、前の言葉を裏切りたくなってくる、じゃあ産業革命なんてことよりずっと昔の洞窟壁画なんかはどうなる?あれはこいつのあのときの姿なのは間違いがない、こいつは必要とされようがされまいが、産業が革命しようがしまいが、私の傍らを歩き続けてきている。ことあるごとに従順だなどとイージーな形容をされる犬なんかより、よっぽど、いや、そもそもあんなもの比較すべき対象などではない、もっと本質的で不可分な存在だ、化身なんて言葉が相応しい崇高な存在なのかもしれない

改めて傍らを歩く姿にちらりと目を向けてみる、どうして美しい歩き方だ。

足元にコクヨの原稿用紙の敷石が見える

ちょっと前とまったく違うことを喋っている?

ちょっと前、、どこの世界での時間で比較をしている?

原稿との階層はどう折り合いをつける?

前に作った作品は?

改めて宣言してみよう。私は、私が仮構だ、ここに現れない異なる階層のわたしなどと同じ次元で考えるものではない、そんな枷は私にはそもそもない、主張の不一致?最高だ、それこそがワープだ、これは放たれた猫だ、俺ではない。風景を描いている、これは伝達の言葉ではないのだ。

逃避は美しく、理由がないことは最高なのだ