ドローイング_猫

試しに眺めるという言葉を書いて眺めてみる。そこには世界をどうにかしようというような意思はない、あるとするならば目的からの逃避だ、そんなことを考えながら文字を綴る

一本の目的的な線形を辿る、現実でワープやジャンプはできない、ただし寄り道は可能だ、風景を眺めたりして、逃避の必要があるのであれば

経済活動を行って、衣食住を満たすことは風景を眺めるのとは異なる世界へのポジティブな態度だ、そこには猫は住みづらい

首都圏近郊の集合住宅の一室、小さなデスクライトの点った下にこの原稿用紙はある。どれだけネットワークが発達してなどと言おうとも、この受け皿に対する私は匿名性を持つこともなく確かにここに居る、私は原稿用紙から瑣末なインフラを介し仮構の猫を放つ、これはワードを使った報告書でもないし、スケジュール変更のメールでもない。

この風景を眺めることは、そういった目的からの逃避なのだと考える、もっとも、逃避行と言っていいくらいの深刻さも兼ね備えているから実のところ不純なのだ、逃避はネガティヴに純粋に逃避であるべきだ、その方が猫だって喜んで遊ぶ

少し考えが煮詰まったので、コンビニにでも行きがてら歩きながら考える
私は生まれてから、ここまで1つの線を辿っている  これからも

理由の無さに理由付けをしてしまった以上精神が蝕まれるなんて言うことは身の程をわきまえていない発言でしかないのかもしれない

猫は隣をするするとついてきている