随筆

凄く意識に残ったので、備忘録として。こういう場所に書いていいものかはわからないので、包んだ言い方になってしまうのだけれど、尊敬する方への質問で

場所から作品のサイズなどを考えるわけではないのですかという質問に、アトリエでの作品との関係も重要なことだ、という答えを聞くことができた

作品の純粋性というものを曲解していたように思えて、なにか意識の転換になった。インスタレーションとか考えてた流れで当然のごとく、最終のアウトプットの場所における必然性がすなわち純粋性だと疑わずにいたのだけれど、例えば滞在制作でもしているような状況なんて言うわけでもなければ、作家の生活やらベースとなっているアトリエというのは、必然的なものでないわけがなく、出来てくるものに不純な要素にはならないわけだ。(滞在制作などにとても魅力を感じる反面、経済的な問題が留保されているのではないか?というモヤモヤを自分は考えたりもする。本質的に社会の中での自立した表現とそれが本当に言えるのか結論づけられないのではないか?と考えてしまう。そのくせ利用できるものを利用しないのは馬鹿だとも思う。拗れていると思う)

ブルースナウマンのスタジオの作品とか、素敵だなぁと思っていたのだけれど、周回してつながってくる事柄なのかもしれないなぁと思ってしまった。

カギカッコ付きの社会やら必然性なんていう言葉の前に、確固たる前提として、作家は生活している人間なんだよなということを改めて考えてしまった。けっこう大きな意識の変化になった気がしている。