学生の展示を仕事がてら見る、マジックリアリズムと言っていいのだろうか、史実捏造系のインスタレーションが多くなってるなぁと実感する。やっぱりそういうものは気になるのだけど展示としては見づらいもんだなぁと改めて思う。つかみがあるかどうかなど、プレゼンテーションの良し悪しの問題はもちろんあるわけだけど、やはりあれだけ文字や資料的になってしまうインスタレーションを見るとき、その形態が正しいのか?と考えてしまう。
秘密の動物史を買って読んでいて思ったのだが、こういったものは書籍の形態でのプレゼンテーションが向いているのかなと思う。まぁ、博物館という形式があるわけだから結局のところは見せ方の問題ともなりそうではあるけど、(展示見てみたかった、また前情報のあるなしで意味はまったく違うとは思う)、時間をかけて楽しめる意味では書籍の方に分があるように感じる。それと、先にも書いたことだけど捏造することについての俯瞰した視線はもう既に形式化しまっているとは思うが、そうなってしまった後には、魅力の在り方が写実となんら変わらなくなってしまうわけで、さめて見ていくべきものなのかもしれない、それでもボルヘスなんかがいいのはやっぱり形式以上のものがあるからだと思う
そういえば、自分は時間の拘束を強いられる媒体に躊躇する傾向があり、そのため映画をあまりみない、これは常々勉強の為にも良くないことと思ってはいるのだけど、性質なのでしょうがない。(みたらみたで楽しいので、嫌いなわけではない、他の媒体を優先してしまうということ) 恐らくだからこそ自分は絵画から入ってるわけなのだが結果今の作品を考えると、自分の苦手とする媒体に近くなってしまっているじゃないのと思う。
研究室で話をしていたとき佐々木さんの話に絵と視点との距離の話があってははぁと思ったのだけど、文字を使った絵でもその問題は面白くできる要素だなぁと考える。シークエンスなしに一瞬で全体に意識が及び、そこから鑑賞者の主体性で細部の読み込みができるというのは絵画でなければできない媒体自体の持つ魅力なのだと改めて思うが、単純な発想ではあるのだけど、また文章で既にそういったものはあるだろうとは思うのだけど(ウェブ検索のインターフェースでそういうのがあった気がする)、一枚の画面で文字のサイズを変えて鑑賞者の位置で読み込める情報が変化するもの、そもそも普通の文字媒体はスムーズに情報を読み込むため視点の距離を固定化されるのものなのだろうから、これを絵画的と言えるかはわからないのだけどなんらかの違う視点の文か絵かは作れるような気がしている。(追記、これってウェブサイトが持っているインタラクティブ性とある意味近いのかもしれない、書いていて気がついてしまった。)
また、関係ないのだけど内田百閒を最近寝る前一編くらいづつ読んでいたのだけど、なんというか一瞬の風景がモチーフなのかなあと思う、絵だなぁと思う
いろいろネットにあったので↓