随筆

再び展示の感想

星田さんの展示を見てくる。あるものを四角形に変形してる映像作品があって、凄くいい作品だなぁと思ったのだけど、ここのところ考えていたもろもろと意識が繋がって、勝手な感想をベラベラ喋ってきてしまった。(でも、こういう時ほど後に意味のある考え方が閃いているから大事)  少し前に自分が作った作品にクラインの壺をモチーフ(要素)として使っていたものがあって、それから位相幾何学の本なんかも丁度触れてたので(半可通)、作品の魅力により入り込めたような気もする。

喋ってきた感想の内容の要点を先に言ってしまうと、四角形とか或いはA4みたいな規格サイズって良い!というのが話の結論である。星田さんの作品の意図に、そういう在り方へのネガティヴな視点も含まれているかもしれないので、それは僕の勝手な意見ではある。

そういう形式が良いというのは、世の中をスムーズにする上でまぁ、いたって普通の話といえばそうなのだけれど、作家みたいな人間は当然主体性に重きを置くわけで、例えばA4なんていうサイズのものにドローイングしたり、写真をプリントするなどということは、イージーさ、つまり作品に対する意識の低さと捉える空気が少なからずある。言ったら西欧的な世界認識の主体の在り方やらパースペクティブやら、カンバスからインスタレーションになり路上に繰り出すことを発展すると言ったうようないつものアレにも繋がりそうな話

当然のごとく自分もそのような考えで今まできてしまったわけなのだけど、結果それで出来た作品やらなにやらというのは兎にも角にも

整理しづらいのである。

勿論この辺の葛藤は昔から連綿と続くものだとは思うし、整理しづらさに負けてサイズを決めるだなんて!というのも作る人には普通の意見だと思う、けれども個人的な事情(今丁度もろもろで整理整頓しないとマズい状況、本とかCDとかデータなど情報媒体の溢れてる状態、モノを買うより捨てて身軽にしたい気分[勿論完全にではないけど、こんなのも今までなら絶対考えなかったことだ])とか、ちょい前にニュースになっていたここ数年で、人間の過去残した情報量を越えたみたいなところから感じる漠然とした不安などとあいまって、ここ最近では自分の意識に転換が起きて規格サイズを使用することに、物凄くポジティブな意味を感じてしまっているのである。似たような観点で、インデックスをどう作るかなんていう問題も然り、情報へのアクセスのしやすさは僕にとって今超重要な問題なのだ。

そんなこともあって、コピー用紙ドローイング万歳というのが最近の気分